祖父が教えてくれたこと

私が生まれて十数年、

ひなが生まれて約三年、

一人暮らしや今みたいに離れて

住んでることもあるけど

長いこと一緒に住んでいて、

親同然に育ててくれた祖父母。


いつもハツラツと元気で

思い返すのは笑った顔ばかり、

まんまるお腹が可愛い祖父。


そんな祖父が

2022年12月18日、

85歳で亡くなりました。


最後に会ったのは9月下旬、

敬老の日のプレゼントの

夏用パジャマを嬉しそうに

着て見せてくれたのが最後の姿。


大きな病気もせず

よく寝てよく食べる祖父は

長生きするのだろうなぁと

思っていて今家族も突然のことに

本当に驚きました。


今でも悪い嘘のようで、

実家にいるといつものように

いるのじゃないかと思うほど。


葬儀もその流れに身を任せて

その時々の悲しさや現実は

覚えているものの

まだ現実全てを受け入れきれてない、

そんな感じで。


身内が亡くなること自体

物心ついて初めてで、

それはひなも初めてで。


亡くなった最期も、

私たちが会えた最期も、

眠るような優しい顔をしていました。


目の前の現実や

目の当たりにする全てが悲しく

私もひなも同じように

たくさん泣きましたが、

一週間少し経った今、

自分の家に戻ってもきて

いつもの日常を過ごしていることで

気持ちがだいぶ落ち着いてきました。


それから考えるのは

当たり前の日々なんて無いんだなと。

今目の前にいる人にも突然、

会えなくなることを実感しました。


”会いたい時に、会う。

話したい時に、話す。

伝えたい時に、伝える。”

このことを身をもって、

おじいちゃんが教えてくれました。


遺品を片付けながら

家族に関することはもちろん、

ひなが生まれてから

一緒に過ごした日々から

最後に会った日までのことを

毎日記した日記。


わたしの音楽活動の

初期の頃からの全ての記録。


それらは

私やひなのことをどれだけ

日頃から気にしてくれていたか、

そのすべてを物語っていました。


失ってしまうと、

もっとこうしていれば、

もっと、もっと、と思ってしまいますが

この一年は特にできるだけ毎月帰省しては

ひなや私の元気な顔を見せに行って、

毎回ひなと祖父母の写真を撮って。


遠くなってしまった耳でも

とにかくたわいもないことを話して

それが出来たこと、

最期にありがとうと伝えられたこと、

それが出来たことを良かったなと

思うようにしています。


遺影は私が撮った写真を使ってくれ、

その写真を見るたび

家族がいい顔してる、と

にこやかにしてくれる姿を見て

今しているフォトグラファー

という役目を果たす一つになったな、と。


そして、これからもそんな写真を

撮り続けたいな、と。


"生きる"姿をもっともっと

大事に出来るような気がしました。


悲しみがなくなるまでは

まだ時間が必要だけど

これだけのモノ、コトを

もらったのだから、

悲しいことだけを背負うのではなく

今は今を元気に自分自身を生きて、

今いる家族や大切な人、ことを

大切にしていくことかな、

と今は思えます。


新しいことを始める来年。

大事なことを教えてくれた

おじいちゃん、ありがとう。


そんな一年の締めくくり。


お仕事や前後に関わりの

あった方々にはご連絡しておりましたが

年末のご挨拶の前にお話したく、

文章にしました。


もう日常を過ごしており、

撮影にも沢山向き合っていますので

以降も変わらず宜しくお願い致します☺️


仕事納めの方も多い中、

また寒さも厳しくなってきましたので

お体に気をつけてくださいね🌿

ご連絡くださった方々、

ここまで読んでくださった方、

ありがとうございました◎

【 ヒナタユウ 】 photo&videographer / singer song writter / total designer

大阪を拠点に関西で活動する フォト・ビデオグラファー、トータルデザイナー。 そしてもう一つの顔、シンガーソングライター。 時には家族のように、時にはスタッフのように その人らしさと想い、温度感を残すことを大切に 家族行事からお店作りまでの出張写真・動画の撮影制作、 デザイン制作や店舗運営のトータルデザインのお手伝いをしています🌿

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